トレーナー紹介

佐藤伸哉(さとう しんや)プロフィール

経歴

名古屋生まれの名古屋育ち

1982年2月17日生まれ
昭和高校卒業後、中京大学の体育学科に入学し2003年同大学卒業。フィットネスクラブに5年、病院に6年勤務。2009年に今池で開業し2013年に現在の栄に移転し現在に至る。

実務経験

  • 病院内のフィットネスクラブの部門責任者6年
  • 高級フィットネスクラブに所属し、平均して月120本以上のパーソナルトレーニング指導を5年間
  • フィットネスクラブでのダイエットプログラムの開発

セミナーなど講師実績

  • 加圧スタジオマトリクスLABO
    スタッフ育成研修担当講師(2012年4月)
  • タイガーフィットネス主催セミナー
    美脚トレーニングセミナー講師(2012年8月)
  • パーソナルトレーニングスタジオrefit
    美脚トレーニングセミナー講師(2013年7月)
  • アイレクス・ザ・クラブ名駅
    ジムインストラクター研修(2013年11月)
  • パーソナルトレーニングスタジオrefit
    『歩行動作改善の為のトレーニング』(2013年12月)
  • 名古屋フィットネスフェスタ 指導者向けセミナー
    『美脚の為のファンクショナルトレーニング』(2014年6月)
  • 『下半身ダイエットセミナー』
    (2016年5月 真和接骨院にて)

所有資格

  • JATI-ATI
    日本人に向けた、トレーニングに関する最新の科学研究を行っている団体が発行する指導者資格
  • BESJ認定マットピラティスおよびマスターストレッチインストラクター
    イタリアのピラティス団体が発行するピラティスの指導資格
  • 体育学学士(中京大学体育学部スポーツ科学科卒)

なぜ私がトレーナーになったのか?

 

トレーナーと言うと『スポーツや運動が好きで得意で、部活でも大活躍!』そんなイメージをお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。

ですが、僕はその真逆です。

自分に自信が持てない・・・そう思い続けた28年間

体は大きいけど足が速いわけでもなく、小学校の野球とサッカー、中学校の卓球、高校の野球とどの部活でもレギュラーを勝ち取ったことがありませんでした。そう言えば通信表も体育は3/5でしたね。

高校は3年間野球部。当然レギュラーにはなれず温情でベンチ入りさせてもらったと思えるくらいです。

「チームのことを考えたら自分は背番号を譲って下級生のメンバーを入れるべきだったかもしれない」そう思ってはいたけど言い出せないし、チームは一回戦負けでみんな泣いていましたが、僕は泣くことすらできませんでした。

「自分はまだ何も出来ていない」そんな悔しさもあって何かスポーツに関わる仕事が出来たらなと考え地元愛知県の中京大学の体育学部に入学しました。

そして中京大学でアメフト部に入部。

部員の人数が少ないこともあって出場機会があるかも・・・と頑張っていた4年生最後のシーズン前の練習で左ひざの前十字靭帯断裂!外側半月板損傷という大怪我です。

無理をして何とか試合に間に合わせましたが当然ろくな動きは出来ませんでしたし怪我も悪化。

得たものは悔しさと情けなさだけでした。

プライベートでも子供の頃から自他共に認める肥満児でとにかく「自分は女の子にモテるわけがない」と強く思いんでしまいました。部活のトラウマも重なって自信喪失。大学卒業後も尾を引き、28才まで彼女を作れずにいました。

いわゆる「非モテでデブ」と呼ぶにふさわしい半生だと思います。

「自分を変えよう!」きっかけは先輩の頑張る姿

4人兄弟の末っ子として生まれ、両親がそれぞれを立派に育て上げていたこともあってとても尊敬しています。

いつかは両親の様に子育てを出来る人間になりたいと考えていました。

しかし25歳くらいのころには同世代の友人が次々と結婚し子供ができた報告を聞く度に焦りを感じ始めたことをよく覚えています。今思えば何歳からでも人生はやり直せると言えるのですが(笑)

そんな当時、勤めていたフィットネスクラブの先輩のダンスパフォーマンスを見ました。そのダンスは僕に「もっとやれるよ」と思わせるものでした。

一日二日の練習では絶対できない動き、50歳を超えるような人が舞台の上で飛び跳ねたり10分以上の長い振付をこなしている姿・・・。

その時の自分は大した努力もせずに過ごしていたと思います。でもちょっと頑張ってみようと思ったんですね。

「自分の体はまだ動くんじゃないか」

「動けるうちに頑張ってみたい」

と思い、当時ブームだった格闘技道場に入門しました。

そこで待っていたのはなんと減量!!

「試合に出たければ10kg体重落とせ」

少し練習が楽しくなって試合にも挑戦したいと思い道場の先生に相談したところ、減量をしろと言われました。

おそらく僕の体力や技術では下の階級でやるべきとの判断からだと思います。

体重を増やしたことはアメフト部で経験済みでした。

筋トレと食事を研究した結果、入学時には75㎏だった体重が4年生の春で最大100kgになっていましたね(笑)

大学を卒業して90kgくらいに落ち着いていたところから、さらに80kgに落とすとなるとただ運動するだけでは無理だと言うのは明らかでした。

食って筋トレして増やすだけで良かったところから初めて減量を経験する切っ掛けを得たわけです。

余計なものを減らす工夫、体脂肪を落とす為の栄養学の勉強や実践などをそこで得ることができました。

まず90kgから80kgに落とし、さらに階級を落とす為に10kg落とすところまでやったので結果的に

「100キロあった体重からマイナス30キロの減量」

ができました。

37歳となった今では格闘技はやっていないですが76~78kgくらいを維持しているので、長期的にもダイエットが成功したと言えると思います。

佐藤のビフォーアフター、マイナス30キロの減量に成功

ケガから得たO脚改善への道

体重のコントロールは順調でしたがケガはなかなか上手くいきませんでした。
 
大学卒業前の2月に手術を終え、しばらく動けなかった時はとにかく痛い。
 
松葉づえ生活でもありましたし、体が不自由な人の気持ちが少しは理解できた気がしました。
  • 「ちょっとした段差が越えられない」
  • 「片脚だけ異様に疲れる」
  • 「歩けなくなるってこんなにしんどいことなんだ」
と・・・歩けなくなる不安を若いうちに経験できたことは貴重でしたね。
 
そして新たなる問題。関節の歪みです。
 
病院でついてくださった理学療法士の先生はとても優秀で、「膝そのもの」のリハビリは順調でした。
 
しかしギブスをはめて長い間動かしていなかったせいかまず足首がガチガチで松葉づえ無しで階段を降りれなかったんです。
 
よく見たら少しO脚ぎみにもなっていましたし、運動不足なだけでこんなにも体の動きや形が変わってしまうのかと衝撃を憶えました。
 
膝はケガする以前とは別物の感覚でしたし前に出来ていた動きはほぼやれない・・。
 
そうすると知らず知らずのうちに膝以外の腰やお尻の筋肉が無理をしているわけです。
 
結果的に腰痛に苦しむことにもなり「体はつながっているんだ・・・」と言うのを実感しました。
 
思えばこれがO脚改善・姿勢改善をメインにやっていきたいと思える切っ掛けだったかもしれません。
 
格闘技を始めたころには医療機関の運営するフィットネスクラブで勤務をしており、
  • 連日ご高齢の方で腰や肩に痛みがある人、
  • 生まれつきの身体的な障がいを抱えている人、
  • 体力に自信が無いけど運動を始めたい人。
そんなお客様たちへ6年間トレーニング指導や栄養指導をしてきました。
 
お客様への指導を通じて実践と勉強を重ね、
  • 姿勢改善
  • O脚改善
  • 肩こり改善
  • 五十肩対策
  • 外反拇趾の改善トレーニング
  • ふくらはぎのむくみの解消法
などを身に着けて、自分の膝のリハビリにも反映させていきました。
 
その甲斐もあって、膝を含めた痛み対策もでき格闘技でもいくつかの大会で優勝することができました。
 
「自分の手でつかみ取った勝利」と言うのは大人になって初めて経験でき、自分のことを認めて良いと思えるようになりました。

体が変われば人生も変わる

減量にも成功したおかげで生まれて初めて同年代の女の子から「スタイルが良いね」と褒められたりもしました。
 
言葉では「そうでもないよ~」と言いつつ「やったぜ!」なんて思ってましたね(笑)
他人を見てうらやましいと思うよりも、自分自身に出来ることと向き合い、努力を重ねることを選択しましたし、そんな行動が少しずつ自信を与えてくれたと思っています。
 
おかげさまで現在は5歳年下の妻と息子に囲まれて毎日楽しく過ごしています。
 
 
正しい努力をした自分を自分で褒めていいし、等身大の自分を好きになれれば誰でも幸せになれるのです。
 
「お客様が自分に自信を持てるようになる」これがパーソナルトレーナーとして僕が大切にしていることです。
 
そのためにはお客様が自分の体と心と向き合い、正しい努力を積み重ねていくお手伝いする存在になれるようなサポートをしていこうと思います。
 
 

名古屋では当店だけの「子連れでもOKの下半身ダイエット専門パーソナルトレーニング」